セブ案内所

長期留学、永住を希望されている方などにフィリピン生活で必要な情報をわかりやすく「案内人 万次郎」が会話でつぶやきます。

恐るべし中国人


万次郎のつぶやき:明後日より、所用で帰国することになっておるんじゃが
         中国人の脅威に少々トラウマになってしもうた。


         先月下旬、帰国した時のことじゃ。
         成田空港付近のホテルに宿泊したのじゃが、さすがに
         日本人は殆ど見かけず、中国人の団体客ばかり。


         貸し切りバスでホテルへ到着するや否や、うるさい!
         チェックインに30分もかかってしまったのも初体験。


         翌朝の朝食では、ご飯と味噌汁はすでにカラ・カラ状態。
         仕方なく、パン食に切り替え、パン焼き器の順番を
         待っていたが、次々と割り込みされた挙句、わしの順番が
         来てパンを焼いていたら、パンを挟むトングとかいう
         道具を持って行かれ、熱いパンを手でつかむハメになった。


         食事を終え、ロビーのソファーで日本人と打ち合わせを
         していたら、ソファーの横に置いてあった私のナップサック
         の上に、いきなり中国人らしき若い女性が座って来た。
         慌ててナップサックを強引に引きずり出したが、女性は
         スマホに夢中で、こちらを見ることもなく、お詫びの
         言葉もなく、同席していた日本人も同様に呆れ顔した。


         翌日の夕方、土産を買いに秋葉原ビッグカメラ店へ行った。
         セブでは日本の薬も高いので、常備薬を買うつもりで、
         薬コーナーへ行き、店員さんにどの薬がいいかを尋ねた。
         店員曰く:「あーよかったー。実はあなたが、今日始めての
         日本人のお客さんなんですよー。中国人のお客さんばかりで
         通訳で大変なんですよー」と意外にも喜ばれた。
         なるほど、ざっと見渡したところ、日本人かと思いきや、
         殆どが中国人らしきお客さんばかりじゃった。


         夕方、ホテル内には夕食を取れるレストランがないため、
         コンビニへ食料を買いに出かけた。
         ホテル近くにはコンビニも一軒しかないため、店内は
         にぎわっておったわ。しかも、中国人ばかり。店内の
         表示も中国語、店員も中国人のバイトがいた。
         弁当も既に売り切れ状態で蕎麦類しかなかったので、
         諦めて居酒屋風の食堂へ食べに行った。
         テーブル席とカウンターには、地元の職人さん風の日本人
         が既にワイ・ワイ・ガヤ・ガヤと酔っ払って飲んでいたの
                                で、奥の座敷へ通してもらった。
         なんと!こちらでは、中国人風の家族が2組、居座って
         おった。流石に居心地が悪いので、カウンター席が空くの
                を待った。タイミングよくカウンター席の一人のお客が
         帰ったので、カウンターへ移動した。
         が、しかしじゃ・・・。両隣は、またしても中国人風。


         セブへ帰国する早朝、空港までの無料送迎バスも定員が
         埋まると次のバスを待たなければならないので、1時間
         早めのバスに乗った。正直いうと、中国人の団体客で
         バスに乗り遅れる心配があったからじゃ。
         運転席のステップを上がり、通路に立った瞬間に異様な
         目線を感じた。既に乗車しているお客さんからの「あんた
         誰?」的な眼差しだ。
         一瞬、団体専用の貸し切りバスに間違って乗ってしまった
         と思い、運転手に聞いてみた。
         運転手曰く:「ホテルの送迎バスですよ」と。
         ホっと一息・
         座席に付いたはいいが、中国人団体様御一行の
         お客様ばかり。
         前の席から、ガイドが中国語でスケジュールを説明し
         始めた。が、しかし、誰も聞いていない。
         スマホをいじったり、話に夢中で聞いている人はいない。


         滞在中、打ち合わせを兼ねて、業者の方と食事をした。
         その席で、数年前に比べて中国人観光客の多さに、
         私は驚いたという話をしたら、
         業者の専務曰く:「以前よりも少なくなりましたよ」と。
         えー!とさらに驚愕していたら、そう説明してくれた
         専務の奥さんも中国人。
         そして、会社の社長も中国人だった。


         暫く帰らぬ間に日本も変わったもんじゃ。
         中国に乗っ取られるんじゃないかというトラウマが
         頭から消えんのじゃ。
         日本がGDP世界第2位のバブルの頃は、海外でこんな
         風に見られておったんかなぁ。


         滞在中、部屋の清掃係が偶然にもフィリピン人女性
         じゃった。
         言葉も挨拶も丁寧でベッドメイキングも清掃も完璧
         じゃった。
         もしかして、このギャップも、トラウマの原因なのかな?
         


いつまで節約志向を続けるつもりですか?


万次郎:成長著しいフィリピンに住んでいると
    日本人の節約志向が過度に感じることがある。


    6年ほど前に努めていた会社の話。
    当時の上司は営業や現場に対し、
    コスト削減をうるさく言っておった。
    当時、総務部に所属していた私は、
    予算や経費管理を任され、不本意では
    あったが、経費節約が主な仕事じゃった。
    上司と現場との板挟みで毎日ストレスが
    溜まったもんじゃ。


    この時、気がついたのはコスト削減にも
    限界があるということじゃった。
    電気料金節約の為に残業も制限した。


    そして、売上に限界のない営業部員の
    プラス志向が妙に羨ましかったことを
    今でも覚えておる。
   
    会社は売り上げが伸びていれば、資金繰りも
    なんとか回るし、給与も上がるので将来的に
    不安もなかった時代。
    成長する社会を経験したことがない今の世代は、
    成長しない社会を前提に生きがいを見いだそうと
    しているように見える。


    節約という言葉はフィリピンで未だに聞いたことがない。
    そのおかげなのか、毎年消費が増大し、6%以上の
    経済成長率に繋がっておるように推測する。


    日本の国内総生産(GDP)は、世界第3位、
    しかーしじゃ、国民一人あたりの総所得は22位。
    これで先進国の一員と言えるのだろうか?
 
    社会保障費(年金・介護・医療)に将来不安を抱えた
    国民の消費低迷がデフレを持続させ、国の政策も
    打つ手がないように見える。
    早めに将来不安を払拭しなければ、保険料の納付率に
    影響が出て来るのも時間の問題ではないか。


    所得増大が先か消費増大が先かは、鶏と卵の関係に
    似ておるが、 全ては一人一人の意識の問題なのか?
    それとも農耕民族の遺伝子がそうさせているのか?


    何れにせよ、過度な節約志向は成長を妨げる要因に
    間違いない。


    長寿国日本と言われるが、長生きできる国よりも、
    長生きしたい国になってほしいもんじゃ。

一生来るつもりのなかった土地に移住している理由


亀太郎:万ちゃん、お疲れの様子じゃが、
    どないしたんかのぉ?


万次郎:あぁ・・・亀さん、いや・・何でもない
    ・・色々、昔のことを思い出しておっただけじゃ。
    亀さんは、移住してから、もうどのくらいになるかのぉ?


亀太郎:そーさなぁ、まる12年になるかな?


万次郎:もう、日本に帰るつもりなんかないんじゃろ?


亀太郎:そりゃぁ、わしも色々と考えたことがあるわいな。
    今の日本に帰っても、バブルも起こりそうにないし、
    人間関係も冷えきっておるし、年取った老人がいっぱいで、
    わしなんか何の役にもたたんしな。
    子供には財産も残しておらんし、
    これ以上の迷惑は掛けとうないけんな・・・。


万次郎:そうじゃのう・・待っててもバフルはもう起こらんしのう・・・
    わしは、今の女房と知り合ってから、もう25年以上にもなるが、
    フィリピンパブにはよう通っとったけんど、皆はフィリピンまで
    足を伸ばして遊びに行っとったが、わしは女房と結婚してからも
    一度もフィリピンに来たこともなく、行くつもりもなかった。
   
    じゃが、55歳くらいになって、定年後の生活を考えるように
    なって、当時10歳の息子を大学まで行かせることが出来るのか、
    本当に心配になってきてのぉ・・・。


    当時の会社は、60歳以降の定年延長こそあれ、事務職の内勤では、
    給料も半額程度に落ち込んでしまうし、65歳の年金受給まで、
    どうやって食って行こうかと真剣に考えておったんじゃよ。


    そんな時にTVで東南アジアの移住番組を見ててのぉ、女房が
    「お父さん、フィリピン行ったら、お金無くても永住ビザ取れるよ」
    と教えてくれたんじゃ。つまり、結婚ビザが取得できるから、
    高額な預託金など必要ないと教えてくれたんじゃよ。
    それからは、必死になってフィリピンの生活費について調べ、
    ぎりぎり年金で生活できることや、大学の授業料も日本の五分の一
    以下であることがわかり、家族で移住するしか、将来は、
    生き抜く方法はないと考えたんじゃよ。


    今思えば、あの頃が一番楽しかったのぉ。
    一度、フィリピンへ渡比してからというものは、
    仕事が手につかんほど、頭からフィリピンのことしか考えられない
    ようになってしもうたんじゃ。
    移住計画から3年で移住できたのは、運が良かったし、何よりも
    現地の日本人のサポートに恵まれた結果だと感謝しておる。
    わしより、ずっと若いが、今でも頭があがらんし、尊敬しとる。
    おかげで人から感謝される仕事が何よりの生きがいだ
    ということにも気づいたんじゃ。


    日本に住んでいた頃は、女房の友人の日本人夫達は、
    何度もフィリピンを訪れていたのに、わしだけ一度も
    行ったこともなく、行くつもりもなかったのが、
    定年前に移住を始めたことを皆から羨ましがられておった。


    人生なんて、いつ、どう変わるか、わからんもんじゃな・・